舞台化をきっかけに…

私の未知の世界のひとつに、人気コミックなどの舞台化があります。アニメでも映画でもありません、舞台です。有名俳優などが主役級を演じるのではなく、たいていは売出し中のイケメンが抜擢されているようです。そして、さらに不思議なことに原作ファンでなくても舞台を見に行く人が多いというのですから、驚きました。原作を全く読まないでいきなり舞台を鑑賞するというのです。その結果、ストーリーが気に入って原作やグッズを購入する人がいる一方で、すっかり役者のファンになってしまう人もいるといいます。
実際に、このような舞台から今をときめく俳優が出たという例は後を絶ちません。「え?あの人があのマンガのミュージカルに出演していたの?!」と、今となってはとても驚くことがあります。気が付いたら、このパターンがすっかり定着してしまっていました。果たしてさきがけは何の作品だったのか。どうして舞台化されたのか、今となっては記憶もとても曖昧になっています。自分の感覚ではとても不思議なのですが、他の映画化といったメディアミックスと同様に成功している一つのスタイルなのでしょう。
ドラマや映画化と近いようで、また違ったファンを獲得しているように見えますが、そんな楽しみ方もできる作品ということで納得してみるのでした。

目にした広告に思う

ある日、出掛けた先で目にした一枚の広告。それは、年間数えきれない程の殺処分を受けている動物たちの事実と、飼い主たちに注意を呼び掛ける内容のものでした。モノクロのそれは、消えていく命の重さと人間の軽率な行為や思惑の代償を訴え、胸にどっしりと沈み混んでいくような何かを感じさせるようでした。
私の周りにも犬や猫を飼っている知人が多く、私自身動物が好きな方なので、色々考えさせられるような気がしました。そこで、図書館で犬や猫、その他にも様々な動物たちのことを描いた書籍を数冊借りて読んでみました。
私たち人間は、ずっと昔から動物たちと生活を共にしながら今日までいきてきました。好き嫌いはあって当たり前で、中にはアレルギーがある人もいます。犬や猫に対する嫌な思い出を持っている人もいるでしょうし、特に理由はなくても毛嫌いしてしまう人も多いと思います。ですが、動物たちは私たちが思う以上に高度な理解力を持ち、時に寄り添い、時に助け合い、家族のように親友のように接してくれることも事実なのだと思います。
「命」を前にしての当たり前の行動、当たり前の感覚は本当はいつもシンプルで、悩むことなく助けることが出来るはずなのに、時にそれが切ないほど難しかったりします。世の中のせいにするのではなく、社会の在り方のせいにするのではなく、ひとりひとりが少しずつ意識を変えていけたら、と切に思います。

私が本屋さんを好きな理由

必要がなければ、数ヵ月に1度足を踏み入れるかどうかという人も多くいるのでは?という本屋さん。私は少なくとも月に1度は用が無くても行ってしまう場所となっています。あの独特の雰囲気…。あの空間だけが外の世界よりゆっくり時間が流れているように思え、なんとも言えない穏やかさを感じてしまいます。私にとってまさに癒しの場所、それが本屋さんなのです。
もちろんネットを活用して本を購入することも多々あります。ですが、ネットでの購入はポチッとするだけというお手軽さも手伝って、ついつい1度にたくさん購入してしまいがちです。届いてから、「あれ、なんだか思っていたのと違う」という失敗をしてしまうなんてこともあります。
やはり、ゆっくり自分の手にとって本を選びたいというのが本音でしょうか。また、こんなところにこんな種類の本が!?というレア感を感じることができたりも…。大袈裟な言い方になってしまうかもしれませんが、まるで宝探しをしているようなワクワク感があるのです。
本屋さんは、老若男女問わずに集える数少ない場所でもあります。こういった公共の場所が少なくなっているからこそ、このような場所があるというだけでその地域が活性化するのではないでしょうか。本屋さんがあるだけで、その場所全体が潤うような気がしてしまいます。

豊かな時間の使い方

先日、久しぶりの友人との再会がありました。昔からの知り合いという訳ではないのですが、気兼ねなく接していられる楽さがあり、居心地の良い相手なのです。そこでふと持ちかけられた相談事が。「自分の為に時間を使いたいのだけれど、何をしたら良いのかわからない」というのです。なるほど、社会人あるあるだなぁと思って耳を傾けておりました。
私はと言いますと、継続性は置いといたとしても、様々な事に挑戦してそれなりに楽しんでいます。もはや読書は趣味というより生活の一部となっていますが、他にも色んな事に取り組みました。
例を挙げるなら、粘土細工、木彫り、塗り絵、写経などなどでしょうか。なんだかどれも屋内型ですが…やってみたいと思った事に取り組まないのは損のような気がするのです。もちろんその時の状況や金銭的なことも踏まえて考えなければなりませんが。出来る状況なのであれば、どんどんやってみようと思うのです。いつからこんなにアクティブになったのでしょうか。
この友人にも、是非何かひとつでも自分の楽しみ、自分の為だけの時間を作って欲しいと思うのです。やってもやらなくても歳はとっていくのですから。より豊かな時間の使い方を見つけられたらいいのにな、と思います。

現代文のテストでついやってしまうこと

小学生の頃、国語の授業が大好きでした。
その延長で、国語が古典と現代文に別れたりして複雑になっても、好きなままであったと思います。特に、年齢が上がればテストに出される文章は、教科書に載っているものがそのままであるとは限りません。私は、春に教科書が配られると真っ先に読めるものは全て読んでいたものですから、テストでも新しい物語に出会うのは楽しみにしていました。
欠かさずやっていたことは、課題として出された文章の出典をチェックすることでした。文末には必ず作品名と作者名が明記されます。テストの良し悪しよりも、そこを忘れないようにして、後で図書館などでチェックするのです。
この頃にはすでに、図書館や新聞の文芸欄などで新刊をチェックしたと思います。それでも、テストでとりあげられていた文章というのは、どこか魅力的に感じたのでしょう。「この先はどうなっているのか?」「全体を読んでみたい!」と強く思っていたようです。
今でも、センター試験の現代文などは学生でなくても見ることができます。それなりに本を読んできたので、「あの作者の作品が使われたのか!」と、勝手に感動することもあります。妙なくせだと自分でも思いますが、本とはまた違った形で作品に触れることができて、なかなか楽しい作業だったりします。

ブックカバーの汚れを落としたい

市販品でも、手づくりでもブックカバーは布製が多いと思います。
私が気に入って、購入したものにたまたま布製品が多いのかもしれません。
素敵なプリント柄であったり、パッチワークであったり…。一緒に持ち運びをすればするほど、愛着がわいてきます。
しかし、外出の機会が多いからこそブックカバーを利用するので、いつの間にか汚れがついてしまうことが多いのです。明るい色だったものが、気が付いたら変色している…。これほど悲しいことはありません。
洗濯しようと思うのですが、洗濯機に入れてしまうと縮んでしまう気もします。
そこで、私は手洗いに挑戦したことがあるのです。使用したのは、洗濯石鹸で素手で洗っても優しいというものでした。
ぬるま湯で時間をかけて洗ったのですが、なかなか汚れは落ちません…。長時間汚れたままだったのがいけなかったのでしょうか。仕上がりは「少し明るくなったかな」程度なのです。新品のように…とはいいませんが、もう少しキレイになって欲しかったというのが、正直な感想です。
布製のブックカバーは、意外といいお値段がします。何度か使用して終わりではちょっと悲しい…。でも、革製に比べて温かい雰囲気がして、大好きなのです。これからも、お手入れの工夫を重ねて、大切に使っていきたいと思います。

自然の力の素晴らしさ

イライラしたり心配事があったり、悩んでいたりすると、普段好きなことに興味を持てなくなってしまったり、何も手につかなくなってしまったりということがあります。例えば読みかけの本があったとしても、そんな時に続きを読もうとしてもまったく頭には入ってこず、集中力が途切れがちです。テレビを見ていてもただ画面を目で追うだけで、内容についていくことが出来なかったりするものです。
その出来事が小さければ戸惑い、大きければ打ちのめされ、渦中の自分を客観的に見ることが出来ないような状況なので、そのような時に何かに打ち込むということは案外難しいのだと思います。例えそれが自分のライフワークだとしてもです。
そんなときは、一刻も早くその状況から抜け出さなくてはなりません。いつまでも同じところに留まるということは、良くも悪くも変化を受け入れないという意味でもあまり好ましくないと思うのです。
ネガティブな状況から抜け出す為に一番効果があるのは、自然と触れ合うことだと私は思います。窓から見える四角い景色や、庭として作られた小さいスペースではなく、出来るだけもっと大きな自然と触れ合うことがいいと感じます。
人間の力ではなんとも出来ないことが世の中にはたくさんあり、自然の恩恵をうまく頂くようなきっかけを見つける必要があると思います。

本とミステリーの相性

ミステリーといっても、さらに細かくジャンル分けされます。
学園もの、日常の謎といった身近なものを題材にしたものから、本格派といわれるトリックを重視したどこか異国めいたものまで…。本当に、奥深いジャンルだと思います。
そんなミステリーですが、本をメインに取り扱ったものも人気で、中にはシリーズ化している作品もあることをご存じでしょうか。
それも、日本だけではありません。海外ミステリーでも、古本や稀覯本を取り扱った作品が多く書かれているのです。
本と謎というのは、意外と相性が良くて、まさに本好きにワクワクした感覚をもたらしてくれるものなのではないかと思います。
実際に存在するものや、流通、時代ごと、国ごとの薀蓄は謎解き以前にマメ知識として読んでいて飽きません。自分が少し賢くなったような気さえします。こうなると、本そのものが、身近な存在でありながら、実は多くの謎に包まれた存在であるということに気づかされるのですね。
このようなジャンルが話題となり、ベストセラーになってから、普段は読まない人も本を手に取るようになったことがあります。それだけでなく、作品中で取り扱われていた現実に存在する本までも売り上げを伸ばしたり、再版されたということを耳にしたのです。
単なる面白さだけでなく、相乗効果も生み出すとは、その相性の良さにはただただ驚くしかありませんね。

本当にあった怖い話は本に限る?!

ホラーや怪談といった、いわゆる「怖い話し」は不滅の人気ジャンルだと私は思っています。
主に夏になるとその人気が持ち上がりますが、映画でもドラマでも、オールシーズン話題になっているものは一つはあるものではないでしょうか。
今はさまざまなスタイルでその「怖さ」を共有することができます。
けれども、私は怖さをもっとも体感できるのは本だと思うのです。
中には、「いかにも!」といった恐ろしい様子の表紙が作られている場合もあります。そのデザインに惹かれて手に取ってしまったという場合もあるでしょう。小説の場合、中身はほとんど活字だけですから、同じ本を手に取った場合には、誰もが同じ文字の羅列を読むことになります。
しかし、内容をどのように脳内で変換するのかは人それぞれに託されることになりますよね。幽霊の姿や、悲惨な事件、誰もいない夜の病院の様子…などなど。書いてあることは同じですが、想像力は個人個人で違ってきます。
映画などで第三者が感じて作られたビジュアルも、予想外に怖かったことがあるでしょう。
それを見たことのある人でも、やはり自分が読んで感じた恐怖というのは、他人事ではありませんから、より強く印象に残るのではないでしょうか。
怖くて忘れられない、と分かっていてもまたつい手に取ってしまう同じジャンルの本…。すでにクセになっているのかもしれませんね。

手芸本は古本でも高い…

古本屋さんがチェーン店化し、全国どこの店舗でも流行や新刊によってほぼ均一の値段で古本が取り扱われるようになりました。
インターネットでも取り寄せることができますので、田舎に住んでいても、平均的な古本価格で購入できることは、何とも便利なものです。
発売してしばらくたった本を手に入れたいときには、「早く古本に出ないかな…」と待ってしまうこともあります。
基本的に、発売から時間が経てば経つほど、安くなる傾向にありますよね。
100円とか300円、500円などの均一の値段で売られているところを見かけます。
そんな本ですが、古本屋さんをウロウロしているうちに、あることに気が付きました。なかなか値が下がらない本もあるということです。
それは、手芸関係の本ではないでしょうか。
手芸とひとくちに言っても、さまざまなジャンルがあります。
編み物、パッチワーク、アクセサリー作りなどなど…。しかし、そのどれもがあまり流行に左右されないデザインであることが一応の基準ではあるようですが、たいていの本が該当しているように思います。
確かに、手芸の本も毎年相当の冊数が新刊で発売されてきていますが、よほど流行のものをピックアップしていない限りは、似たような内容だと思ってしまうこともありますよね。
ちょっと新しい趣味を見つけたい、レシピが欲しいときには、古本を手に取ってみてもいいのかもしれません。