自分のメモで困ったこと

勉強のために本を読むことがあります。学校や会社で課された宿題のようなものではなく、教養として自分が「必要かな?」と思った時に本を手にすることがあるのです。
勉強なので、さらっと目を通すよりは気になったことをメモしながら読むと頭に入るので、なるべく静かなところでノートを広げて読むようにしています。ところが、自分だけが読んで誰にも見せる必要がないと思い、気が緩んでしまうためかどうしても雑な書付けになってしまうのです。もちろん、本の内容に感心してさらにノートに書き込むのですから、記憶にはとても残りやすくなっています。けれども、細部となると書いたものを見返すことになります。そうすると、自分の筆跡であるはずなのに読むことができないという思わぬ事態が発生するのです。何とか解読することもありますが、そのまま答えを諦めてしまったことも何度かあります。これでは学習の意味がないな…と思いながらも、このちょっとルーズであるくらいがちょうどいいのかもしれません。読み返しができないことは困ってしまいますが、やはり手で書くことである程度の内容は残っています。社会人になってからの学習は、少しルーズであることが長続きするコツかなと思うのです。

他人の評価を知ること

普段から小説を読んでいると、色々な作品に対する他人の評価と言うものが気になってしまうものです。まだ知らない未知の作品にもっともっと出会いたいですし、自分が「これは面白かった」「読んで良かった」と満足できた作品に対する評価が、どのような傾向が多いかというところも気になってしまいます。そして、自分が「この本は良かったよ」と思える作品は身近な人と是非分かち合いたいものですし、感想も聞いてみたいと思います。
そういった周りの評価だったり感想を聞くことで、また新たに作品を選ぶときの参考にもなりますし、たくさんの人の感想を聞くことは純粋に興味深いものがあります。
例えば、自分とはまったく正反対の感想を耳にすると、もう一度その作品を読み返そうという気持ちになりますし、類似した感想を聞くとなんだか仲間を見つけたような安堵感を覚えてしまうのです。そして、自分の中で作品のランク付けをすることで手元にのこしたいものと、いずれ手放しても良いだろうものとの餞別が出来るようになります。こういった意味も踏まえ、色々な人の感想や評価を見てみることで、それぞれの作品に対して、更に理解を深めていくことにも繋がるような気がするのです。

日々勉強

人間いくつになっても日々勉強だ!というようなことを耳にすることがあります。私も、この意見には大いに賛成です。特に本を日常的に読んでいると、そのことが本当によく分かるような気がします。雑学、文学、自己啓発、様々なジャンルがありますが、どんな本を読んでも「無駄だった」と思うことがありません。それらの中には必ず光るものが隠されていますし、はっと胸を突かれること、目からウロコがこぼれ落ちることがたくさんあるのです。
人生八十年とは言いますが、その人生すべてをかけて本を読んだとしても、まだまだ人間が知りえることはたくさんたくさんあるでしょう。毎日新しい発見がどこかで生まれ、新しい物語が作り出されているのですから、「自分はもうすべて知り尽くした」「もう何も学ぶべきことはない」とは言えないのではないでしょうか。要は、いつまで自分自身が探求心を持ち続けるか、そして行動しようとするかなのだと思います。そうやって人類はここまで成長してきましたし、きっとこれからも進化を続けていくのでしょう。その中で、私たちはもっともっと貪欲にいろんなことを知るべきなのかもしれません。その機会は、十分に与えられていると思うのです。

童心に返る

本屋さんへ行くと、趣味のコーナーに「大人の○○」という名目の、大人のための趣味の本がたくさんあることに驚かされます。その中には例えば切り絵だとか塗り絵だとか、いわゆる「お絵かき」的な種類のものが多く見られます。私も一応「大人」と呼ばれる年齢層に入りますが、この歳で塗り絵とかどうなんだろう…と、少し疑問に感じました。それと同時に、物凄く興味を抱いたことも事実でしたので、モノは試しと思い、一冊購入してみたのでした。もちろん塗り絵に必ず必要な色鉛筆セットも一緒に。不思議なことに、なんとこの時点ですでにウキウキしている自分がいることに気が付きました。
塗り絵と色鉛筆をレジに持っていく間、なんだか「早く家へ帰ってこれやりたい!」と、まるで子供のような新鮮な気持ちになっているのです。この心境の変化にははっきり言って驚きました。さっそく取り組んでみたのですが、思った以上に夢中になっている自分に更にビックリ!しかも集中しているではありませんか。こんなに塗り絵に集中したことなんて、いつ以来でしょう。出来上がったときの達成感も、これまたたまりません。思えば大人になってから、こんなに真剣に絵を描いたりしたことはないのではないでしょうか。だからこそ新鮮でしたし、「童心に返る」ということを味わえたような気がします。

影響力のある本との出会い

色々な本を読んでいると、その世界観にどっぷり浸かってしまい、まるで自分がその物語の主人公のような、登場人物の一人になってしまったかのような気持ちになってしまうことが多々あります。まるで自分が受けたかのように、ストーリー展開中で痛みを感じ、喜びを感じるのです。
そのようにあまりにもリアルに感じてしまうような作品に出会ってしまうと、なかなか現実世界に戻ってこられないような錯覚を覚えてしまいます。自分が自分ではないような、なんとなくふわふわしたような気持ちを味わうのです。それは居心地がよくもありますが、逆に言うと「夢見がち」とも捉えられてしまいがちです。その物語の影響を受けすぎて言葉遣いが変わってしまったり、服装やメイクの趣味まで変わってしまったり。そういった影響力のある作品に出会えることはとても幸せなことではあるのですが、自分自身を見失ってしまうことにも繋がるような恐怖も同時に抱いてしまうのです。まるで麻薬のように自分の中に入り込み、なかなかその世界から抜け出せないような作品。そんな作品に出会えるとしたら、きっと私は夢中で読んでしまうことでしょう。いつも新しい本を開くときは、そんな期待を抱いているのです。

電子書籍に思う

ネット社会と言われる現代。一人一台携帯を持ち、小学生までが大人顔負けの様子でスマホやパソコンを操作しています。ブラインドタッチなんて当たり前、賢い買い物はネットオークション。情報を得るためにパソコンを開くことは毎日の習慣だと言う人も多いのではないでしょうか。以前、「街中から本屋さんが消える」という噂を耳にしたことがあります。本の電子書籍化が進み、それを懸念した声を集めたものだったような気がします。
しかし、私は街中から本屋さんが消えることはないように思うのです。電子書籍はとても便利です。指を滑らしてページを開く感覚は始めのうちこそ少し戸惑いますが、慣れればなんということはありません。かばんに常に文庫本を入れて持ち歩く必要もなく、身軽に気軽に本を読めるというのはなんともスタイリッシュです。
しかし、紙の本の良さはまた違ったものなのです。たとえ内容が同じであったとしても、本を持つ、ページをめくる、しおりを挟む。その動作を含むすべてが読書の醍醐味でもあると私は感じています。偏った考えはどんな場合でも視野を狭めます。電子書籍の良さ、紙の本の良さ。それらを比べる必要は無く、「時と場合に応じて」使い分けるくらいのしなやかさが必要だと思うのです。それぞれの良さがあるのですから。

読者を獲得するための工夫

本屋さんに行くと、新作コーナーやランキングなど、様々なコーナーを目にします。中には、それぞれの本屋さんならではの「おススメ」などもあり、そういった一角にはどうしても長居してしまいがちです。やはり、周りの評価と言うものは気になるもので、その時話題になっている本は目を通してみたいなと思ってしますね。
最近は、芸能人でもたくさんの方が本を出版されているようで、こういった作品を見かけると一度は手にとってしまいます。その方のネームバリューと言いますか、話題性で売れるということも多々あるとは思いますが、忙しい合間を縫っての執筆活動、編集など、私は素直に「すごいなぁ」と尊敬の念を抱かずには入られません。まさに「天は二物を与えた」のだなぁ、などとしみじみ思いながら、そのブームが落ち着くのを静かに見守っていたりするわけです。本屋さんに行くと、帯に芸能人の顔がドドン!と鎮座してあることも多く、なるほど、出版業界も色々苦労しているんだなぁなんて思うこともしばしば。活字離れと言われるようになってから、色々な工夫をしているんだなぁということが随所から感じられます。本を読まない人にとっては、こういった帯から入るということも大きな一歩なのでしょうから、芸能人の帯目当てで購入するのもアリではないでしょうか。ただ、購入したからには是非ちゃんと最後まで読んでほしいものですね。

子供の頃から読書の習慣を

小さい頃から本を読む習慣をつけていると、何かとプラスに働くことが多いように感じます。
知人のお子さんは小学校の高学年になるのだそうですが、本を読むことが好きではなく、その為に年々学習能力に不安を感じるようになってきたそうです。授業についていくことが難しくなってきてしまい、学習塾を考えているのだとか。
原因のひとつに、「読書嫌い」が挙げられるのではないかと私は思うのですが、どうでしょうか。本を読むことはまず、理解力や想像力、読解力、文章力など、さまざまな能力を養うことが出来ます。また、本を読むことで集中力も身に付きますし、一冊読み終えることにはそれなりの忍耐も必要だと思うのです。「継続は力なり」と言いますが、まさにその通り。一冊、二冊読むだけではだめなのです。習慣として「読書」を生活の一部に取り入れることで、特に小さなお子さんは将来の可能性がぐんと広がると思うのです。その為に、時にはお母さんによる「読み聞かせ」も必要ですし、親子で一緒に同じ本を読むという機会を設けることもとても大切なことではないでしょうか。忙しい日々を送っていると、なかなかそれは難しいかもしれません。ですが、短時間でも子供と一緒に本を開くという時間を作ることで、お互いの距離も近付くのではないでしょうか。

発想の転換

中学生の頃、国語の授業で「物語を元に絵を書こう」という課題がありました。学校の図書館から好きな本を借りてきて、それを元に印象に残るシーンを絵にするというものです。
私はもともと本を読むことも絵を描くことも大好きだったので、この課題は楽しい!の一言でした。周りは色々と苦労をしている子達が多かったのですが、私は何をするのもただただ「楽しい!」と思えました。
本を読んでいる間はどのシーンを書き出そうかと考え、絵を描いている間は自分の想像力をフルに使い…。まさに私にとって「最高の授業」だったのです。自分が得意とする分野に取り組んでいる時間は本当に楽しいものですし、いつもより力が入ります。
人には得手不得手というものがあります。得意分野、不得意分野が必ずあるでしょう。出来ないことを悔やむより、出来ることを伸ばすように努力するほうが前向きな精神を保っていられますし、何より自分自身が頑張れるような気がします。
当時の私は数学、理科が大の苦手で、時には学校に行くことが苦痛で仕方なかったのですが、あの課題に取り組んでいたときは毎日が本当に楽しかったし、他のことも頑張ろうと思うことが出来たように思います。そういった「発想の転換」が子供を伸ばすには必要なのではないでしょうか。

読書と音楽の共通点

今は昔ほど聴かなくなってしまっていますが、音楽を聴くのが大好きです。若い頃は、それこそ何をしていても音楽を流しているというスタイルでした。
まさに生活の一部となっていたように思います。デイリーランキングもしっかりチェックしていましたし、CDのフライングゲッドに走っていたものです。
少し遠方で行われるライブにも足を運び、観客に向かって投げ入れられるギターのピックやタオルめがけて一生懸命ジャンプしていた青春を送っていました…。
リズムや音程、曲調なども重要ですが、「歌詞」の深さやメッセージ性が私にとっては選曲の際のポイントです。歌詞をじっくり聞くことは、どこか読書にも似たような感覚を覚えてしまうのは私だけでしょうか。読書も音楽を聴くことと同じ位好きなのですが、詩集を読むことも好きな私なので、音楽を聴く際も歌詞を拾う方に意識がいくのかも知れません。あまり洋楽を聴かない理由もこのあたりにあるのかな、と思ったりもします。
音楽も小説も、自分の心にずしんと響き落とす何かがあるような作品は、何度聴いても何度読んでも飽きることなく手元に置いてしまうような気がします。生きる上で疲れた時、落ち込んだ時、拠り所になってくれるのが音楽であり、読書だと思っています。