書店で販売しているエコバック

街を歩いていると色々な種類のエコバックを目にします。アパレルブランドが手掛けるものや有名ブランドのロゴが入ったものまで様々なデザインや柄のものがあるので、街行く女性を見ているだけでも楽しむことができます。そんな私も現在3種類のエコバックを使っています。買い物に行く時には海外旅行のお土産にもらったフランスのスーパーマーケットの手触りがよい布製バッグ、ちょっとしたお出掛けにはシンプルなゼブラ柄のマチが広いもの、そして最近ある書店のロゴが入ったものを使い始めました。ブックストアが手掛けたということもあり、大きめの本を入れることができるA4サイズのこの布カバンはとても丈夫な作りで、使い勝手も非常によいです。茶色の生地に同系色の花と葉が描かれていて真ん中には味のある字体でこの書店名が入っています。サブカバンとしても使うことが出来て、色々なものを詰め込んで落ち歩いています。何よりも同じものを持っている人がいないのも嬉しいものです。また、移動時間などに読書をすることが多いので、単行本はもちろんのこと文庫本もこの鞄に入れることができるため、長い時間電車に乗る時などはうってつけのアイテムだと感じています。これからも書店が出している布製鞄をチェックして、素敵なデザインのものを見つけたら購入しようともくろんでいます。

大切に温めてゆきたいエッセイ

十年以上前から大好きなアーティストのエッセイを読んできました。読み始めたきっかけは、インターネットのサイトに掲載されていた日記形式のコラムでした。パソコンを開いてこのエッセイを読む事が、当時の日課だったことを昨日のように感じます。あれから月日が経ち、数週間前に訪れた図書館で当時の連載をまとめた本を見つけて早速借りる事にしました。料理のレシピや旅行記、生活のことが書かれていて、ページを進める度に懐かしさと新鮮さを感じます。
この本を書いた女性は、自分のアパレルブランドの作る会社を立ち上げたり、歴史あるファッション雑誌に連載を書いたりと精力的な活動をしてきました。そんな忙しい毎日を送りながらも夫や友人達と過ごす時間を大切にしているところが、私は大好きなのです。彼女の文章を読んでいると私も毎日の生活を充実させ、大好きな人達と過ごす時間を心から楽しみたいという願望に駆られるものです。
そんな心から尊敬する著者に今から5年位前にシンガーソングライターのライブを訪れた時にお会いしたことがあります。話しかけようかどうしようか迷いましたが、偶然遭遇したことが嬉しくて一言も声を掛けずに終わってしまいました。その時も旦那様と友人と楽しそうに談笑をしながらライブの合間にお酒を飲んでいた姿が印象的でした。
現在でもエッセイや料理についての書籍を出版したり、サイトに連載しています。これからも私の生活の一部として、彼女の文章を身近に感じていきたいと思います。

失敗こそが笑いの源

先日、親戚の子供が書き取りの勉強をしていました。ひらがなです。そのドリルをちらりと見て、私はひらがなにも書き順があることを思いだしました。大人の私はもう何十年も書いてきていますが、書き方を疑ったことなどありません。しかしこうして知ってしまうと、自分の書くものは果たして正しいのかと気になりますよね。宿題を邪魔するのはよくないのでちらちらと見ていたら、なんとなく間違いはない……のかな。一安心です。
小学生の頃、漢字の書き取りにはひどく苦労をした覚えがあります。なぜか間違えたまま覚えてしまった一文字。それを正しく覚え直すことができなかったのです。テストの度にバツを貰ってくる私に母が怒って、泣きながらそればかり練習しました。お蔭で今は書くことができますが、同時に当時の苦しみも思いだしてしまいます。
そうはいっても、過ぎたことはもうただの話の種。あの頃は大変だったよで済むのですから、人間とは逞しいものです。聞けばみんなそれぞれ、何がしかの苦労もしていますしね。それでも今こうして一緒にいられるのは、なんて幸福なことでしょう。良くないことは積極的に話して笑い飛ばして、ぜひ次への活力を手に入れたいものです。

電車の中で気になること…

電車での移動といえば、最近ではスマホをチェックすることが目的地までの暇つぶしになっているのでしょうか。漫画などでもよく描かれていた、新聞を広げているオジサンなどはもはや珍しい分類に入ってしまうのかもしれません。しかし、たまに本を読んでいる人を見かけると「おっ」と心の中で思ってしまいます。それも真剣に文庫本を読んでいる姿を見てしまうと、いったいそんなに何の作品を夢中になって読んでいるのかと興味が湧いてしまうのです。
私も本が好きなので、どこかへ行くときには必ずかばんの中に文庫本を忍ばせておきます。移動中なのであまり集中して読めないと思い、短編集かエッセイなどを入れておくのです。けれども、予想外に面白い内容にあたることもあって、電車で移動しているつもりが作品にのめり込んでしまい、目的の駅からだいぶ乗り過ごしてしまったこともあります。
ですから、電車で本を読んでいる人を見ると、手にしている作品も気になりますし、その人が夢中になっていて乗り越してしまったりはしないかと気になってしまうのです。
一瞬でも今自分のいる世界のことを忘れて、どっぷりと本の世界に入り込んでしまうということは何とも不思議な経験でもあります。そんな本に、また出会ってみたいとも思うのです。

本屋さん以外での運命の出会い

私と本との出会いは、たいてい本屋さんか図書館です。ふらふらと本棚の間を背表紙を見ながら歩くことで、「面白そうだな」と何となく手に取って読んでみる…というのがお決まりのパターンでした。
そんな私に、最近では別のパターンが生まれつつあります。本屋さん以外のお気に入りのお店ですが、個人経営の小さな雑貨屋さんや美容院です。何度か通っているうちに顔見知りになり、人懐っこい店主とお店のこと以外にも言葉を交わすようになりました。
その中で、特に美容院の店長は同じく本が好きということが分かったのです。確かに、店内をよく見てみると、普通は女性誌などが多く置かれているものですが、本棚には小説などもちらほら見受けられました。聞いてみると、これらのものは店長の個人的な持ち物ということではありませんか。パーマを当てると数時間かかるものですが、小説などを手にする人は滅多にいなく、本もお店のオブジェのようになっていると店長は笑っていました。
そのラインナップから、私の興味がある作品もあり、何冊か借りていくことになりました。好きな作家や作品のことをあれこれ語り合っているうちに、あっという間にヘアセットは終わってしまいました。借りた本は本来読む予定はなかったものですが、とても面白かったです。運命の出会いに、感謝せずにはおれませんでした。

自分のメモで困ったこと

勉強のために本を読むことがあります。学校や会社で課された宿題のようなものではなく、教養として自分が「必要かな?」と思った時に本を手にすることがあるのです。
勉強なので、さらっと目を通すよりは気になったことをメモしながら読むと頭に入るので、なるべく静かなところでノートを広げて読むようにしています。ところが、自分だけが読んで誰にも見せる必要がないと思い、気が緩んでしまうためかどうしても雑な書付けになってしまうのです。もちろん、本の内容に感心してさらにノートに書き込むのですから、記憶にはとても残りやすくなっています。けれども、細部となると書いたものを見返すことになります。そうすると、自分の筆跡であるはずなのに読むことができないという思わぬ事態が発生するのです。何とか解読することもありますが、そのまま答えを諦めてしまったことも何度かあります。これでは学習の意味がないな…と思いながらも、このちょっとルーズであるくらいがちょうどいいのかもしれません。読み返しができないことは困ってしまいますが、やはり手で書くことである程度の内容は残っています。社会人になってからの学習は、少しルーズであることが長続きするコツかなと思うのです。

他人の評価を知ること

普段から小説を読んでいると、色々な作品に対する他人の評価と言うものが気になってしまうものです。まだ知らない未知の作品にもっともっと出会いたいですし、自分が「これは面白かった」「読んで良かった」と満足できた作品に対する評価が、どのような傾向が多いかというところも気になってしまいます。そして、自分が「この本は良かったよ」と思える作品は身近な人と是非分かち合いたいものですし、感想も聞いてみたいと思います。
そういった周りの評価だったり感想を聞くことで、また新たに作品を選ぶときの参考にもなりますし、たくさんの人の感想を聞くことは純粋に興味深いものがあります。
例えば、自分とはまったく正反対の感想を耳にすると、もう一度その作品を読み返そうという気持ちになりますし、類似した感想を聞くとなんだか仲間を見つけたような安堵感を覚えてしまうのです。そして、自分の中で作品のランク付けをすることで手元にのこしたいものと、いずれ手放しても良いだろうものとの餞別が出来るようになります。こういった意味も踏まえ、色々な人の感想や評価を見てみることで、それぞれの作品に対して、更に理解を深めていくことにも繋がるような気がするのです。

日々勉強

人間いくつになっても日々勉強だ!というようなことを耳にすることがあります。私も、この意見には大いに賛成です。特に本を日常的に読んでいると、そのことが本当によく分かるような気がします。雑学、文学、自己啓発、様々なジャンルがありますが、どんな本を読んでも「無駄だった」と思うことがありません。それらの中には必ず光るものが隠されていますし、はっと胸を突かれること、目からウロコがこぼれ落ちることがたくさんあるのです。
人生八十年とは言いますが、その人生すべてをかけて本を読んだとしても、まだまだ人間が知りえることはたくさんたくさんあるでしょう。毎日新しい発見がどこかで生まれ、新しい物語が作り出されているのですから、「自分はもうすべて知り尽くした」「もう何も学ぶべきことはない」とは言えないのではないでしょうか。要は、いつまで自分自身が探求心を持ち続けるか、そして行動しようとするかなのだと思います。そうやって人類はここまで成長してきましたし、きっとこれからも進化を続けていくのでしょう。その中で、私たちはもっともっと貪欲にいろんなことを知るべきなのかもしれません。その機会は、十分に与えられていると思うのです。

童心に返る

本屋さんへ行くと、趣味のコーナーに「大人の○○」という名目の、大人のための趣味の本がたくさんあることに驚かされます。その中には例えば切り絵だとか塗り絵だとか、いわゆる「お絵かき」的な種類のものが多く見られます。私も一応「大人」と呼ばれる年齢層に入りますが、この歳で塗り絵とかどうなんだろう…と、少し疑問に感じました。それと同時に、物凄く興味を抱いたことも事実でしたので、モノは試しと思い、一冊購入してみたのでした。もちろん塗り絵に必ず必要な色鉛筆セットも一緒に。不思議なことに、なんとこの時点ですでにウキウキしている自分がいることに気が付きました。
塗り絵と色鉛筆をレジに持っていく間、なんだか「早く家へ帰ってこれやりたい!」と、まるで子供のような新鮮な気持ちになっているのです。この心境の変化にははっきり言って驚きました。さっそく取り組んでみたのですが、思った以上に夢中になっている自分に更にビックリ!しかも集中しているではありませんか。こんなに塗り絵に集中したことなんて、いつ以来でしょう。出来上がったときの達成感も、これまたたまりません。思えば大人になってから、こんなに真剣に絵を描いたりしたことはないのではないでしょうか。だからこそ新鮮でしたし、「童心に返る」ということを味わえたような気がします。

影響力のある本との出会い

色々な本を読んでいると、その世界観にどっぷり浸かってしまい、まるで自分がその物語の主人公のような、登場人物の一人になってしまったかのような気持ちになってしまうことが多々あります。まるで自分が受けたかのように、ストーリー展開中で痛みを感じ、喜びを感じるのです。
そのようにあまりにもリアルに感じてしまうような作品に出会ってしまうと、なかなか現実世界に戻ってこられないような錯覚を覚えてしまいます。自分が自分ではないような、なんとなくふわふわしたような気持ちを味わうのです。それは居心地がよくもありますが、逆に言うと「夢見がち」とも捉えられてしまいがちです。その物語の影響を受けすぎて言葉遣いが変わってしまったり、服装やメイクの趣味まで変わってしまったり。そういった影響力のある作品に出会えることはとても幸せなことではあるのですが、自分自身を見失ってしまうことにも繋がるような恐怖も同時に抱いてしまうのです。まるで麻薬のように自分の中に入り込み、なかなかその世界から抜け出せないような作品。そんな作品に出会えるとしたら、きっと私は夢中で読んでしまうことでしょう。いつも新しい本を開くときは、そんな期待を抱いているのです。