男性料理家の本が気になって…

料理が好きなので、本屋さんではレシピ本をチェックします。
さまざまなコンセプトのもとに作られていて、鍋料理、ダイエット目的、お弁当レシピ…などなど。目的別には本当に困らないほど、種類が豊富です。
そんな中で、面白いものを見つけました。男性料理家によるレシピ本です。
少し前までは、料理研究家といえば女性がほとんどでした。男性はどちらかといと料理人で、本格的な本が多く、私などには敷居が高いイメージさえありました。
ところが、男性料理家といえば2~3人くらいは思いつきます。彼らがプロデュースしている食器や調味料を見かけることもあるほどです。かなり浸透してきたということなのでしょう。
女性が提案する本との違いはどこにあるのか、と手に取ってみました。
すると、男性らしく丼ものや肉料理が目立ちました。さらに、作り方をよく見てみると少し分量が多いかも?という印象です。
簡単にすぐ作ることができて、ボリュームがある…。これぞ、男性が提案する料理の醍醐味なのかもしれません。
今では普通に生活を送っていても、性別に関係なく料理をする機会はたくさん出てきます。まずは、同性の提案する作り方から入る…ということも可能になったということかもしれません。

有名作家の誕生日

今をときめくベストセラー作家などは、作品と同じくらいにそのプライベートも良く知られている場合があります。配偶者も良く知られている人ですと、さらに話題になることもありますし、本人がメディアに露出する回数が多くなる人もいるでしょう。作家の生年月日や血液型、家族構成や学歴といったプロフィールまでも白日の下にさらされます。
こと、古典と言われる昔の名作を生み出した作家はどうでしょうか。「今日は何の日」といった話題で名前が上がるくらいで、普段はとくに意識されないものかもしれません。よほどのファンでもない限り、すぐに分かる人は少ないでしょう。
しかし、そんな昔の作家でも誕生日が注目されることがあります。
それは、「生誕〇年記念」といった節目です。特に有名作品を生み出した人物であればあるほど、特集が組まれやすく、書店でも大々的なフェアが組まれます。これまで絶版だった作品も、これを機会に増刷されるなどして入出しやすくなります。「知っている名前だけれど読んだことがなかった」という人も、手に取りやすい機会ですよね。
没日も取り上げられることがありますが、やはり誕生日というのは誰でも分かりやすい記念ではないでしょうか。亡くなった後にも、誕生日が記念と覚えられるなんて、素晴らしいことだなぁと思うのでした。

舞台化をきっかけに…

私の未知の世界のひとつに、人気コミックなどの舞台化があります。アニメでも映画でもありません、舞台です。有名俳優などが主役級を演じるのではなく、たいていは売出し中のイケメンが抜擢されているようです。そして、さらに不思議なことに原作ファンでなくても舞台を見に行く人が多いというのですから、驚きました。原作を全く読まないでいきなり舞台を鑑賞するというのです。その結果、ストーリーが気に入って原作やグッズを購入する人がいる一方で、すっかり役者のファンになってしまう人もいるといいます。
実際に、このような舞台から今をときめく俳優が出たという例は後を絶ちません。「え?あの人があのマンガのミュージカルに出演していたの?!」と、今となってはとても驚くことがあります。気が付いたら、このパターンがすっかり定着してしまっていました。果たしてさきがけは何の作品だったのか。どうして舞台化されたのか、今となっては記憶もとても曖昧になっています。自分の感覚ではとても不思議なのですが、他の映画化といったメディアミックスと同様に成功している一つのスタイルなのでしょう。
ドラマや映画化と近いようで、また違ったファンを獲得しているように見えますが、そんな楽しみ方もできる作品ということで納得してみるのでした。

目にした広告に思う

ある日、出掛けた先で目にした一枚の広告。それは、年間数えきれない程の殺処分を受けている動物たちの事実と、飼い主たちに注意を呼び掛ける内容のものでした。モノクロのそれは、消えていく命の重さと人間の軽率な行為や思惑の代償を訴え、胸にどっしりと沈み混んでいくような何かを感じさせるようでした。
私の周りにも犬や猫を飼っている知人が多く、私自身動物が好きな方なので、色々考えさせられるような気がしました。そこで、図書館で犬や猫、その他にも様々な動物たちのことを描いた書籍を数冊借りて読んでみました。
私たち人間は、ずっと昔から動物たちと生活を共にしながら今日までいきてきました。好き嫌いはあって当たり前で、中にはアレルギーがある人もいます。犬や猫に対する嫌な思い出を持っている人もいるでしょうし、特に理由はなくても毛嫌いしてしまう人も多いと思います。ですが、動物たちは私たちが思う以上に高度な理解力を持ち、時に寄り添い、時に助け合い、家族のように親友のように接してくれることも事実なのだと思います。
「命」を前にしての当たり前の行動、当たり前の感覚は本当はいつもシンプルで、悩むことなく助けることが出来るはずなのに、時にそれが切ないほど難しかったりします。世の中のせいにするのではなく、社会の在り方のせいにするのではなく、ひとりひとりが少しずつ意識を変えていけたら、と切に思います。

私が本屋さんを好きな理由

必要がなければ、数ヵ月に1度足を踏み入れるかどうかという人も多くいるのでは?という本屋さん。私は少なくとも月に1度は用が無くても行ってしまう場所となっています。あの独特の雰囲気…。あの空間だけが外の世界よりゆっくり時間が流れているように思え、なんとも言えない穏やかさを感じてしまいます。私にとってまさに癒しの場所、それが本屋さんなのです。
もちろんネットを活用して本を購入することも多々あります。ですが、ネットでの購入はポチッとするだけというお手軽さも手伝って、ついつい1度にたくさん購入してしまいがちです。届いてから、「あれ、なんだか思っていたのと違う」という失敗をしてしまうなんてこともあります。
やはり、ゆっくり自分の手にとって本を選びたいというのが本音でしょうか。また、こんなところにこんな種類の本が!?というレア感を感じることができたりも…。大袈裟な言い方になってしまうかもしれませんが、まるで宝探しをしているようなワクワク感があるのです。
本屋さんは、老若男女問わずに集える数少ない場所でもあります。こういった公共の場所が少なくなっているからこそ、このような場所があるというだけでその地域が活性化するのではないでしょうか。本屋さんがあるだけで、その場所全体が潤うような気がしてしまいます。

豊かな時間の使い方

先日、久しぶりの友人との再会がありました。昔からの知り合いという訳ではないのですが、気兼ねなく接していられる楽さがあり、居心地の良い相手なのです。そこでふと持ちかけられた相談事が。「自分の為に時間を使いたいのだけれど、何をしたら良いのかわからない」というのです。なるほど、社会人あるあるだなぁと思って耳を傾けておりました。
私はと言いますと、継続性は置いといたとしても、様々な事に挑戦してそれなりに楽しんでいます。もはや読書は趣味というより生活の一部となっていますが、他にも色んな事に取り組みました。
例を挙げるなら、粘土細工、木彫り、塗り絵、写経などなどでしょうか。なんだかどれも屋内型ですが…やってみたいと思った事に取り組まないのは損のような気がするのです。もちろんその時の状況や金銭的なことも踏まえて考えなければなりませんが。出来る状況なのであれば、どんどんやってみようと思うのです。いつからこんなにアクティブになったのでしょうか。
この友人にも、是非何かひとつでも自分の楽しみ、自分の為だけの時間を作って欲しいと思うのです。やってもやらなくても歳はとっていくのですから。より豊かな時間の使い方を見つけられたらいいのにな、と思います。

現代文のテストでついやってしまうこと

小学生の頃、国語の授業が大好きでした。
その延長で、国語が古典と現代文に別れたりして複雑になっても、好きなままであったと思います。特に、年齢が上がればテストに出される文章は、教科書に載っているものがそのままであるとは限りません。私は、春に教科書が配られると真っ先に読めるものは全て読んでいたものですから、テストでも新しい物語に出会うのは楽しみにしていました。
欠かさずやっていたことは、課題として出された文章の出典をチェックすることでした。文末には必ず作品名と作者名が明記されます。テストの良し悪しよりも、そこを忘れないようにして、後で図書館などでチェックするのです。
この頃にはすでに、図書館や新聞の文芸欄などで新刊をチェックしたと思います。それでも、テストでとりあげられていた文章というのは、どこか魅力的に感じたのでしょう。「この先はどうなっているのか?」「全体を読んでみたい!」と強く思っていたようです。
今でも、センター試験の現代文などは学生でなくても見ることができます。それなりに本を読んできたので、「あの作者の作品が使われたのか!」と、勝手に感動することもあります。妙なくせだと自分でも思いますが、本とはまた違った形で作品に触れることができて、なかなか楽しい作業だったりします。

ブックカバーの汚れを落としたい

市販品でも、手づくりでもブックカバーは布製が多いと思います。
私が気に入って、購入したものにたまたま布製品が多いのかもしれません。
素敵なプリント柄であったり、パッチワークであったり…。一緒に持ち運びをすればするほど、愛着がわいてきます。
しかし、外出の機会が多いからこそブックカバーを利用するので、いつの間にか汚れがついてしまうことが多いのです。明るい色だったものが、気が付いたら変色している…。これほど悲しいことはありません。
洗濯しようと思うのですが、洗濯機に入れてしまうと縮んでしまう気もします。
そこで、私は手洗いに挑戦したことがあるのです。使用したのは、洗濯石鹸で素手で洗っても優しいというものでした。
ぬるま湯で時間をかけて洗ったのですが、なかなか汚れは落ちません…。長時間汚れたままだったのがいけなかったのでしょうか。仕上がりは「少し明るくなったかな」程度なのです。新品のように…とはいいませんが、もう少しキレイになって欲しかったというのが、正直な感想です。
布製のブックカバーは、意外といいお値段がします。何度か使用して終わりではちょっと悲しい…。でも、革製に比べて温かい雰囲気がして、大好きなのです。これからも、お手入れの工夫を重ねて、大切に使っていきたいと思います。

自然の力の素晴らしさ

イライラしたり心配事があったり、悩んでいたりすると、普段好きなことに興味を持てなくなってしまったり、何も手につかなくなってしまったりということがあります。例えば読みかけの本があったとしても、そんな時に続きを読もうとしてもまったく頭には入ってこず、集中力が途切れがちです。テレビを見ていてもただ画面を目で追うだけで、内容についていくことが出来なかったりするものです。
その出来事が小さければ戸惑い、大きければ打ちのめされ、渦中の自分を客観的に見ることが出来ないような状況なので、そのような時に何かに打ち込むということは案外難しいのだと思います。例えそれが自分のライフワークだとしてもです。
そんなときは、一刻も早くその状況から抜け出さなくてはなりません。いつまでも同じところに留まるということは、良くも悪くも変化を受け入れないという意味でもあまり好ましくないと思うのです。
ネガティブな状況から抜け出す為に一番効果があるのは、自然と触れ合うことだと私は思います。窓から見える四角い景色や、庭として作られた小さいスペースではなく、出来るだけもっと大きな自然と触れ合うことがいいと感じます。
人間の力ではなんとも出来ないことが世の中にはたくさんあり、自然の恩恵をうまく頂くようなきっかけを見つける必要があると思います。

本とミステリーの相性

ミステリーといっても、さらに細かくジャンル分けされます。
学園もの、日常の謎といった身近なものを題材にしたものから、本格派といわれるトリックを重視したどこか異国めいたものまで…。本当に、奥深いジャンルだと思います。
そんなミステリーですが、本をメインに取り扱ったものも人気で、中にはシリーズ化している作品もあることをご存じでしょうか。
それも、日本だけではありません。海外ミステリーでも、古本や稀覯本を取り扱った作品が多く書かれているのです。
本と謎というのは、意外と相性が良くて、まさに本好きにワクワクした感覚をもたらしてくれるものなのではないかと思います。
実際に存在するものや、流通、時代ごと、国ごとの薀蓄は謎解き以前にマメ知識として読んでいて飽きません。自分が少し賢くなったような気さえします。こうなると、本そのものが、身近な存在でありながら、実は多くの謎に包まれた存在であるということに気づかされるのですね。
このようなジャンルが話題となり、ベストセラーになってから、普段は読まない人も本を手に取るようになったことがあります。それだけでなく、作品中で取り扱われていた現実に存在する本までも売り上げを伸ばしたり、再版されたということを耳にしたのです。
単なる面白さだけでなく、相乗効果も生み出すとは、その相性の良さにはただただ驚くしかありませんね。